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2010年06月06日

政治屋か?政治家か?

竹中平蔵氏の『改革』はどこへ行った?

と言う本に大変興味深い記述があった。

経済評論家にはいろいろいるが、竹中平蔵氏ほど政治の中心まで経験した評論家はいない
マスコミがもてはやしている経済評論家はたくさんいるが、そのほとんどは実態を知らないただの批判家であり、実務経験をした彼の言うことが一番説得力があるのではないかと私は考えます。


では、彼のその記述とは?


アメリカのジェームズクラーク氏有名な言葉に
『政治屋は次の選挙の事を考える、政治家は次の時代の事を考える』というのがあります。
結局、今の状況下で、多くの政治家は、次の選挙の事しか考えなくなってしまっています。
そうなると、政府はお金を出せ、自分はもう選挙区に張りついて忙しい、極端に言えば、政策については官僚が考えればいいというような状況になってしまいます。


<略>

私も一回選挙に立ちましたが、選挙というのは、すごく孤独です。本当に何票いれてくれるかも分かりません。そうすると、そのときに手弁当手伝いにきてくれる、ポスター一枚貼ってくれる人の気持ちが、本当にありがたく思えます、ましてや政治資金、つまりはお金をだしてくれる人はほんとうにありがたいのです。
 そうすると、政治家はそういう人との貸し借りの中にずっと置かれることになります。
その人から頼まれると、財務省の主計局長に一言くらい声かけて、何かオカネが出るようにしなければなりません。
 そうなると、政治家は選挙民からも官僚からも、がんじからめにされてしまいます。
そして、政治家も結局は官僚と同じように、思い切った政策がうてなくなってしまうのです。これが実態であり、これをどう突破するかが最大の課題です。

<略>

もう一つ、政治家のみならず、公人の活動を大変に狭めている大きな要因は、やはりマスコミにあります。
公人には人権がありません。
普通であれば、『バカだ、アホだ』と言われたら『何でこんなやつに、こんなことを言われなきゃいけないんだ』と思います。
しかし、言論の自由があるのだから、マスコミが権力を持った公人に対して論陣を張らなければいけないということは、それはそれで一面の真理でしょう。ですから、公人には人権など配慮されないということになります。
『公人』と言うのは割があわないものです。しかし、それでも政治家には突き抜けてほしいと思います。



非常に今の日本の政治の問題の中枢をついていると思います。
最初から政治屋などいないのです。
選挙を繰り返すうちに政治家が政治屋と化してしまう。
しかし、政治屋も一部の国民のために仕事をしただけであって、決して自身の利益のためにしている訳ではない。
しかし、政治屋では次の時代をよくする本当の改革はできない。


『改革なくして成長なし』
『官から民へ』
と言う政策は、本当に間違っていたのでしょうか?
小泉改革は本当に失敗したのでしょうか?
この評価は、ただ単に一部のデメリットだけを取り上げて、党利党略に利用していないでしょうか?

今、一番必要な事は、政治屋ではなく、政治家の声を聞くべきではないでしょうか?  
Posted by 真野 栄治 at 14:10Comments(0)社会問題